太平洋戦争の終結後、1945年(昭和20年)10月に、賀川豊彦は軍需工場の工員寮だった土地建物を譲り受け、戦災者、海外引揚者等のための簡易宿泊施設「向日荘」を開設しました。そしてそこで伝道と保育の事業を始めました。現在の日本キリスト教団「国分寺教会」は、ここから独立して伝道活動に入りました。愛の園保育園は、同じ場所で1952年(昭和27年)に保育事業を開始し、現在に至っています。その間、周辺は急速に東京のベットタウンとして変容をとげ、愛の園保育園もそれに対応して、保育内容して、保育内容、人員などの充実に努め、増改築も繰り返し行い、建物、園庭、設備などの整備にも努めてきました。
学童保育、0歳児保育、障碍児保育、保育時間の延長などを、実施してきており、地域からよい評価を受けています。
情緒障碍児通所施設賀川学園もこうした歴史的経過の中で1971年(昭和46年)に、愛の園保育園の旧園舎を活用して設立され、今も活発な働きをしており、互いに交流もし合っています。
キリストの心をこころとした創立者賀川豊彦のひとこと「困った人を助ける為に」を原点として、民間保育園の独自性を地域のために十分発揮できる保育園となる事を目指して、日々の保育に励んでいます。